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トーベ・ヤンソンの遺したもの

そして夏休み終わりかけの私はトーベヤンソンWeb資料総当たり。
といっても、スウェーデン語(またはフィンランド語)が分からないので、日本語と英語のみなのでとってもリソースは限られる。。それならそれでと思って、英語圏と日本語圏の扱いの違いとかを調べようと思って「レズビアン トーベヤンソン」と入れてgoogleで検索したら自分とこがトップに来てギョ。
英語圏の情報は最初の手ごたえほどに情報多くはなくて、その中でも色々と中身をみながら検討。。
詳しい内容は後日参考URLを添えて記事にしますが。。おおまかな印象を。。

日本語圏でのWeb上の情報は限り無くゼロに近い。
探し方が悪いのかと思ってあれこれ検索ワードを変えてみたりしましたが、やはりヒットしない。
わずかにあったのは、「島暮らしの記録」の紹介の中に、「トーベの彼女トゥーリッキ」という記述があったのが一か所、「生涯のパートナー」とあった記述が一か所。(ただし、同じ文章中トーベが生涯独身であったと書かれている)
残りは「親友」「大親友」など。
なにしろ、「島暮らしの記録」の後書きでさえ、「島での滞在を許される数少ない友人のひとり」となってる。
ちなみにこの書の書きだし一ページ目で、トゥーリッキ(本書内ではトゥーティー)がいかに木工に長けているかを語っている。日記感覚のこの書で、トゥーリッキはトーベのパートナーとして島暮しの基礎を一緒に作り、一緒に暮らしている。そもそもトゥーリッキはこの本の挿画を描いているのだ。どう読んだら「滞在を許されている友人」となり得るのか、まったく不明。これを事実の彎曲と取らないでなんと取ろう??
ムーミンを読み返すと、「ムーミン谷の仲間たち」(講談社文庫/1979年)の子供の読者向けの翻訳者解説(おそらくハードカバーからの転載?)には次の通り書かれている。
「ヤンソンさんはフィンランド湾に小さい島を一つもっていて、夏にはそこでただひとりで暮らし、もっぱら童話を書くのだという。ひとりでいても、ムーミン谷の仲間たちがいれかわりたちかわり訪ねてくるので、彼女はちっともさびしくないといっている。」
明らかに事実とは違う。

日本でムーミンと接する人が最初に目にするこの情報のソースと思われるのは、イギリスでムーミンシリーズを出版した大手出版社Puffin版の解説。
"She lived alone on a small island in the Gulf of Finland, where most of her books were written,"
『彼女はフィンランド湾にうかぶ小さな島にひとりぼっちで暮らしていました。ほとんどの本はそこで書かれました』
なぜこのような「嘘」が出回ったのか、トーベヤンソン自身がこの言葉を言ったのだとしたら、どういった心境からなのか。。それを考えると、一見自由奔放な人生を生きたように見える彼女が、いかに注意深く作家人生を歩んだことか、そしてなぜ彼女の描いたムーミン谷の住人たちがかほどに「やりたい放題」なのか、そのわけが見えてくるような気がする。
このPuffin版の解説の嘘については、トーベとトゥーリッキのホームムービーが上映されたロンドン・レズビアン・ゲイ映画祭のイベントに訪英したトーベの姪ソフィアへのインタビューでも指摘されたらしい。

日本語での情報の少なさ、彎曲もさることながら、この通り英語圏(特にイギリス)でさえ基本的にはトーベヤンソンは孤独な人生であったというような事実のねじ曲げが行われていたように見える。
その一方で、アメリカの主なオンライン辞書(百科事典、人名事典等)に掲載されているトーベヤンソンのプロフィールは、おそらく一つのソースを参照していると思われ、一環して下の表現が使われている。
Tove Jansson lived together with the (female) graphic artist Tuulikki Pietila who was also her lover.
「トーベ・ヤンソンはグラフィックアーティストであり、同時に彼女の恋人でもあったトゥーリッキ・ピエティラ(女性)と一緒に暮らしていた」
同じ英語圏でありながら、このイギリスとアメリカでの情報の温度差はなんだろう。。。

生前の「孤独な芸術家」としての扱いを経て、トーベの亡くなった後の2004年のロンドン・レズビアン・ゲイ映画祭でトーベの姪ソフィアが招かれ、イメージの修正がなされたことは、英国のゲイ・レズビアンたちのトーベへの精一杯の餞だったようにも見える。

トーベとトゥーリッキの仲むつまじい旅行風景を映したホームムービーを知り合いの監督に編集してもらった映画「Travel with Tove」が制作されたのは1993年。
二人の愛したクルーブハルでの日々を綴った「島暮しの記録」がトゥーリッキの挿し絵つきで出版されたのは、1996年。
さらに1998年には島での二人の生活を撮影した映画「Haru - the island of the solitary」が制作されている。

トーベ・ヤンソンがこの世を去ったのは2001年6月27日。
彼女が最後の日々に行った人生の集大成の数々。それらは、トゥーリッキとの時間を後世に残すため、生前語ることのなかった愛する人と生きた証をこの世に遺してゆくための遺書を書いてゆく時間であったと、私には思えてならない。。

2004年の夏、混雑した東京のデパートで、写真のコラージュにかくも巧みに、かつごくあからさまに標されたトーベとトゥーリッキの愛の記憶に気付き、目をみあわせて微笑んだヨルと私。
死を越えてなお、伝わるものは必ずある、と信じたい。。
私もそこに続くものとして、伝えていきたい。。

tove_nokoshitamono

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