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2005年11月22日

こう思いたいと思って次第にそうだと思い込む傾向

ヤンソンが女性を愛する女性であることを知ったのは一年すこし前の個展の写真を見て。
なによりも明確にその写真には、ヤンソンの生き方が見えていた。
「見た目でセクシュアリティはわからない」
という人と、
「ぱっと見ればビアンかどうかはわかる」
という人といるけど、私はケースバイケースと思う。
ひとついえるのは、その人の外見はその人の内面と同じくらい大事な、その人の生き方をあらわす鏡であること。
だからといって、「だったら外見も磨かないと」というのはまったく本末転倒。にじむものが大事なのであって、意識的に「磨きあげた」外見は単に「こう見せたい」という一面を表すに過ぎない。(それも大事な部分という人もいるかもしれないけれど)

ヤンソンの場合、私と恋人が彼女は女性を愛する女性であると気づいたのは、アトリエでの写真。
広々とした心地よさげなアトリエに、すっと立っている女性。
すっきりと刈った砂色の髪を丁寧に撫で付け、皺ひとつない真っ白なシャツとパンツ姿。
なによりそのくつろいだ表情に浮かぶ、厳しい視線。
誰にこびるでもない、自分の持つ国の王様たる、背の延びた、けれど突っ張っていない空気。

見た瞬間に、腑に落ちた。
ジェンダーの幻から自由な人の空気を感じた。

こんな風に書くと、
「じゃあ、異性愛者、結婚した人はジェンダーから自由にはなれないの?」
「ジェンダーから自由なのが良いことなの?」
という詰問に合いそうだけれど、必ずしもそうはいってません。
ただ、誰かの「妻」でありつつ一人の人間として人生を全うすることは、ヤンソンの世代ではとても難しかっただろうと感じるとだけ書いておきます。

とにかく、私は写真を一目見て、「ああこの人は女性を愛する人なんだ」と知ったし、隣で写真を見ていた恋人も同じことを感じたようだし、実際そうであった(当人は亡くなっているので厳密にはわからないけれど、周囲の証言やポストムーミン(ムーミン以降の)作品を読む限り)。

その確信が、けれど一年を経て揺らいだ。

必死で作品を読み解き、解説やインタビューをかき集め、webでありとあらゆる情報を探し回って、得た確信が、どんどん揺らいでゆく。
なぜなのか。

それは、日本ではヤンソンはあくまで独身を通した「孤独を愛する」作家であり、レズビアンの「レ」の字もどの文献を探しても見当たらない。
たった一つごくごく控えめな記述を挙げるとすれば、「彫刻家の娘」の解説で、ヤンソンの翻訳を数多く手がけてヤンソンの信頼も厚かった冨原眞弓が
「ムーミンが冬におしゃまさんという人に出会って道が開けたように、トーベ・ヤンソンもまたそういう人に出会ったようです」
というような一文がある。(手元にないので大意)

作家のプライバシーを探るのは、その人のセクシュアリティがなんであれ作品とは無関係なことだと承知している。
けれど、ヤンソンの場合、自身は自国の首相が主宰したパーティにパートナーのトゥーリッキを連れて行ってマスコミで話題になるくらいにオープンにしていた。
なのに、日本(あるいは英国)では、ムーミンシリーズの一冊に「ヤンソンさんは夏の間、無人島に一人で過ごしている」という「嘘」が書かれるほどに隠蔽されている。
実際は26年間の間ずっと無人島にはトゥーリッキを伴っていたのに。

なぜこんなにヤンソンのセクシュアリティにこだわるのか。
彼女がただ非婚者で、孤独に死んだ人だとしたら、その作品の価値がなにか変化するのか。
おそらく何も変化はない。
けれど、私自身をここまでこだわらせるのは、紛れもない、上にかかれたような「隠蔽」に対する憤り。
これだけあれこれ調べて納得したはずの私が、一年の間にどんどん記憶をあいまいにさせてゆき、やがて私自身、

「レズビアン・バイセクシャルであってほしいと願っただけで、実際は違ったのではないか。トゥーリッキは親友であって恋人ではなかったのではないか」

と思い始めるのだ。調べようともしない人たちにとっては、ないも同然の事実だとしても仕方あるまい。

私はいやだ、いやなの。

私が誰かを愛したという事実は、私一人、そして恋人が抱えていてくれればいいだけの記憶かもしれない。
でも、その事実が、
「親友同士だった」
というふうに捻じ曲げられること。
わけのわからない力によって封じられ、違う形へと変えられて記憶されてしまうこと。
その怖さを、ヤンソンとトゥーリッキに重ね合わせてしまう。
お二人にとってはさぞ迷惑な話。

どこかの国の首相が、
「わが国には同性愛者はいない」
と断言したのを新聞で読んだことがある。
「いないものとして扱われること」
は立派な弾圧だと感じる。

私が
「トーベ・ヤンソンにはトゥーリッキ・ピエティラという恋人がいた」
と「知っている」ことと、「信じているだけ」ということには、天と地ほどの開きがある。
誰かに、
「それはあなたがそう思っているだけでしょ」
「見た目だけで決め付けただけでしょ」
といわれたとして、今の私には返す言葉もなく、ただ臍をかんでジタバタ暴れるしか道はない。

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2005年08月05日

スヌスムムリク

ムーミンに出てくるスナフキンの本名。
スナフキンは英訳するときにつけられた名前。
確かにスヌスムムリクでは日本人は舌を噛みそう。でも、こうして書いてみると「スヌスムムリク」は「スヌスムムリク」でしかなく、「スナフキン」は単なるデフォルメのように思えてくるのが不思議。

ユリイカのトーベヤンソン特集号をぱらぱら眺めていて、ヤンソンのインタビューが目に入る。そこに、「情緒的なムーミン」とあってちょっと意外な気がして再度読んでみる。なるほど。家族というテーマゆえに感傷的になりがちな部分を、徹底的に抑え込んでヤンソンは推敲していたらしい。

このエピソードを読んでふと、マイブーム須賀敦子の対談集の中にあった話を思い出した。
須賀敦子が、文学とは情緒的であってはならないという信条をもっていたという。
あくまで生活に中にあり、体験の中にあるものから抽出されたものでなくてはならなくて、どうかしてセンチメンタリズムに逃げ込みそうになる自身を常に鞭打っているようなところが彼女にはあったという。
須賀敦子の著書を読むと私はまず内省的な人を思い浮かべる。
実際には第二次大戦をまたいでイタリア、フランス、イギリス、日本を行き来したような人であるからいわゆるおとなしい人間なばかりではなく、外交的手腕も持っていたに違いないのに、あの淡々とした石畳のような味のある正確さをもった文章を読むと、「私心のなさ」をまず思い浮かべてしまう。
須賀敦子は確かに活動的な、「行動の人」であったらしい。
信義だ信仰だと説いてまわるよりまず行動し、実践することを旨としていたのは、逆に削ぎ落とされた文章に対するストイックさと通じるものがあったのではないかとも思う。

ムーミンシリーズの中でとても好きな「ムーミン谷の11月」はシリーズ最後。
ムーミン谷にムーミン一家はいない。
主のない谷で、知人たちが好き勝手にそれぞれの関係性を築き、去っていった後、ムーミン一家が戻ってくる影だけが小説に残される。
そこに残った小さなホムサが、「不在」と「在」をつなぐ時間軸。

必ずどこかに「教訓」をおかずにはおれなかったヤンソンが、「児童文学」から抜け出た瞬間。情緒の海から這い出てきた瞬間がここにあるように思う。

情緒と抑制。
情緒があるから抑制がある。
抑制があるから情緒が生きる。
情緒と抑制。
情緒と抑制。
どこかに私の抑制のレバーは落ちてないかな・・・・
ぼやきつつ、今日もぼとぼと歩いてゆく。

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2005年01月23日

トーベ・ヤンソン「灰色の繻子」

トーベ・ヤンソン「聴く女」続けて読んでます。。
今日読んだ「灰色の繻子」。。。主人公が妙に他の短編と比べて「立って」いる気がして、ちょっとドキドキ?しながら読み進んで気づいた。
「誠実な詐欺師」のカトリと似ている。。もしかして習作かなと。。
またまたネタばれですので要注意。。

人の顔を見ると、その人の死が迫っていることを知り、しかもそれを相手に告げずにはいられない女性。黙っていればいいのに、内なる声がそれを許さない。

この女性は表情に乏しく、周囲には恐れられているが本人が怖い人というわけではない。ただ人を寄せ付けない雰囲気を持っている。
カトリと彼女に共通する雰囲気。
それはなんだったのか。。
比べて読めば、それはあるいは「誠実な仕事」であったのかもしれない。。

よく世の中で言う、
「真実はひとつとは限らない」
という文句。どんな場合でも世の中のトラブルを回避するのに役立つ言葉。
でも、トーベ・ヤンソンにとってはそれは違ったのかもしれない。。真実はたったひとつ、文字通り唯一無二で、それを全うしない人間は「不誠実」だと考えたのかもしれない。

アンナのために金銭のやりとりを見張り、じわじわとアンナの生活を計算で取り囲んでゆくカトリ。
自らの信じるところに従って見事に針と糸を使い衣装に芸術を施してゆく刺繍女。
二人とも、自らの仕事をただひとつ見据えて、日々を重ねてゆく。
二人とも、ひとつの秘密を抱えている。
カトリはアンナへの裏切り。
刺繍女は自らの予知力。

物語の終わり、女は死を見る力とともに、刺繍というたったひとつの天から授かった能力をも失う。
誠実な仕事と誠実な心。。どちらかを選ぶことは決してできないというトーベの理念なのか。。
能力は選んで得られるものではなく、また人にとってうれしいものばかりでもない。ひとつを選んでもうひとつを切り捨てることは、おそらくその人のすべてを切り捨てるということなのかもしれない。。

失ったものと比べて、新しい何かを女は得られたのか。。
ここに、もうひとりのカトリの物語が横たわる気がする。。

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トーベ・ヤンソン「聴く女」

今朝からトーベ・ヤンソン「聴く女」を読んでます。
老いはじめた女性がみるみる美徳を失ってゆく姿を描いている。
もともとあるかないか分からないくらいの美徳しかほとんどの人にはないと思う。自分自身も含めて。
ただ、たったひとりの相手や大切な相手にとっての美徳さえも、老いには勝てない。
老いさらばえる前にと、自らの記憶を辿り、必死で人間関係を一枚の羊皮紙に書き付けてゆくイェルダ伯母。まるでその人間関係のみが自らの財産であったかのような執着。その関係性のみが自分の「美徳」を証明するなにかであるかのように。

クレヨンで次々と書きつけてゆく姿に、鬼気迫るものを感じる。

過ぎた美徳をもとめる人は、不自然に映る。
その美徳を他人に認めてもらおうとあの手この手を駆使する人は、不自然を通り越して醜悪。。

クレヨンで自らの人生にかかわった人々をひとりひとり色分けしていったイェルダ伯母は、完成間近、すべての人からの誘いを断る。
そうして出来上がった羊皮紙を満足をもって眺め、自らの死後は誰の目にも触れないよう配慮してしまいこむ。二度と彼女がこの人間関係の地図を開くことはないだろう。。
彼女が描いた地図は、あるいは彼女の人間関係への執着を振り払うものだったかもしれない。
最後の自立を勝ち取るための梯子だったかもしれない。。

私にはほんのわずかの美徳もないかもしれない。。
けれど、ヨルが、数少ない友人が、私のこととは無関係に、あるいは関係をもちつつ生きて、それぞれの思いを持って接し、結果的に支えられているという事実が、わずかに気持ちを暖める。。

私はまだ地図を描くには早い。
いつか私も、このテーブルに向かい、瞳を人生への執着にぎらつかせながらクレヨンを選ぶときがくるんだろうか。。
それでもいい。
最後にその地図を、飾らずしまうか、あるいは焼き捨ててしまう心意気を残しておけるなら。。

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幸せに生きていきたい

最近トーベヤンソンのことを知って、何がショックだったってなにより
「知らなかったこと」
なんだよね。
こんなにも有名な人がレズビアンであったこと。
愛する女性とフィンランドで暮らしていたこと。
孤独を愛していたのではなく、愛する女性との生活を公にしなかったために、勝手にマスコミ(特にヨーロッパ、日本)によって「結婚していない=孤独な女性」というイメージを植えつけられただけだったという事実。
この事実が私を打ちのめした。
声を挙げなければ、無視される。
私がここで幸せに、ヨルと暮らしているという静かな事実は、誰も知らない過去となる。
私は、ヨルは、一人で一生暮らした寂しい人となる。。。

母にカムアウトしたときにまっさきに言われた言葉、
「子供がいないのは寂しいわよ」
同じように私が女性を愛する女性だと知ったある知人に言われた言葉
「一生結婚しないの?寂しくない?」

こういう言葉を裏づけしてしまうような小説のような気がするんだよね。。今の中山可穂の小説。ついつい読んでしまう、ついついはまってしまう、でも、読みながら必死で追いかけているうちに最後になってガックンとなる。。ヨルも言ってましたが。。
そういうのがちと悲しいかなあ。。
唯一の例外が、「サグラダ・ファミリア」
あれはどこかほんのり明るい新しい家族の匂いがする。。。でも、そこにはビアンカップルはいない。
きっと中山可穂自身に、幸せな女性同士カップルの未来というビジョンを描くことができないんだよね。。なんて勝手な想像。それこそ作品と作家をごっちゃにするなと天の声が聞こえそうだ(笑)。
それこそ、人にとって幻でも私にとっての現実をきっちり見据えて生きていきたい。
でも、できれば人にとっても私の現実があまりにも夢幻に対象になってほしくはない。。というのが今の私の心境。。

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2004年10月20日

私に必要なモノ(「島暮らしの記録」)

台風がどどどどと押し寄せています。
野分(台風)が秋の風物詩なら、もう三ヶ月くらいずっと秋。
いつになったら穏やかな実りの秋になるだろう。
ここ数日大自然のオマケ台風の影響(汗)で、島暮らしの記録を読み返しています。夕べ二回目を読みきって、今三回目(笑)。
本当に良い本です。

自然を必要とする都会の芸術家。
それがトーベとトゥーリッキの現実の姿だったと思う。
ある意味「自然とともに暮す」ことは、芸術のために、つまりトーベとトゥーリッキについては生きるために必要なこと。
けれどそれは、漁師が魚を獲ったり、百姓が野菜を収穫することとは似て非なることとなる。
それは、魚を獲るのに必要な網であったり、畑を耕すのに使う鋤であったりする。
必要だけれど、生活そのもの、とは少し違う。

最近ずっと考えていること。
自分に本当に必要なものは何なのか。
どう生きてゆきたいのか。
なにを最優先すべきなのか。

島暮らしの記録の最後、島暮らしを断念する決心をするトーベとトゥーリッキ。
理由は、
「海が怖くなったから」
もっとも愛した、もっとも安心できた場所が「怖くなった」ということに、どれほどの衝撃を受けただろう。
そこを引かねばならない、必要であった環境から自分が拒否されたと感じたことに、どれほどの絶望を感じたろう。

都会で生きて死ぬことを決意したトーベとトゥーリッキはそれでも決して諦めない。
なにしろトーベは、島暮らしを断念してしばらくは島のことを思い出すことさえ、島の話題を口にすることさえ避けたというほど。諦めていたらそんなふうにはならない。懐古に浸って、若かりし日に思いを馳せるだろう。

数年たって後、トーベとトゥーリッキは二人で「島暮らしの記録」をまとめ、発表する。
30年近く二人の心の糧となった島暮らしに、二人は自分たちなりの「収穫物」を捧げて別れを告げたのだと私は思う。
どれほど二人が島暮らしを愛したか、島が二人の人生にくれたものはなんであったか。
それは、現在先進国でブームのスローライフなどという薄っぺらいものでは断じて、ない。

生きること、表現すること、愛すること、自然をいつくしむこと。
すべてを豊かに充実させるために必要な日々であったと、トーベの(邦訳されている)小説全作品を読んで、そう思える。
自然をなつかしみ、子供時代を思い、大人の都会人である自分を受け入れ、やがて人生の終章へと自ら調えてゆく。

再度、考えたい。
何が私に必要なのか。
何が私を豊かにしてくれるのか。
一生、考えてゆく。

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2004年08月25日

トーベ・ヤンソン・コレクション2「誠実な詐欺師」

人生最大級の勇気をふりしぼって告白すると、私はうそつきだ。
それも友人や家族に対してではなく、恋人に対してのみ、重大なうそをつく。
社交辞令や都合上必要なうそではなく、他人からみればおそらくまったく不要な、けれど私にとっては機密事項に属するきわめて重大なうそである。
ムードに流されて、といったよくある罪のないうそではない。
綿密に計画をたて、相手をだますために巧妙に作り上げたうそである。
それがうそであることを万が一相手に知れたら私は詐欺罪に値するくらいに重い、深い罪。

なぜそんなうそをつくのか、理由を考えてみる。

虚勢のため。
格好つけのため。
存在理由のため。
気を引くため。

よくよく考えてみると、全部ちがう。

自分の名誉のため。
相手の名誉のため。

名誉。
このひとことに尽きる。
この世のうそは、すべて名誉のため。
恋人との間に必要な名誉とはなにか。
なぜ家族や友人には不要で、恋人に対しては必要なのか。

トーベ・ヤンソンの物語「誠実な詐欺師」は、真面目でまっすぐな女性カトリが弟のために、裕福な雇い主アンナのお金を掠め取ってゆく話。それも、彼女の考える「正当な」方法で。
それは普通に思いつくような「正当な理由付け」などではなく、きわめて公明正大、数字をまっとうにアンナに見せて、これこれこれだけのパーセンテージをもらうと宣言しての行為だ。つまり、カトリが雇い主アンナの経理を預かるうえでのごくあたりまえの報酬として。
この行為のどこが「詐欺」なのか。
トーベヤンソンは、この「正当な行為」にともなう心理を、最小限まで切り落とされた表現の中で許しうる最大限の丁寧な描写で次第に顕わにしてゆく。

いったいどこに、そこまでして守りたいカトリの名誉があったのか。
それがどこで傷つけられ、どこで失われたのか。

カトリはもううそをつけない。
私ももう、うそをつかない。

いつからうそをつかなくなったのかは、名誉にかけて言わないことにする。
五年前なのか、五日前なのか。
私の名誉なのか。
だれの名誉なのか。
その名誉がどこにあったのか、今どこにあるのか、ただいま、探求中。



(トーベ・ヤンソン・コレクション2「誠実な詐欺師」・1995年刊・筑摩書房)

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2004年08月24日

トーベ・ヤンソン・コレクション5「人形の家」

飽きもせず、トーベヤンソンコレクションを継続して読んでます。
現在読んでいるのは「人形の家」。
ヤンソン作品をまとめて読むと気づくのが、作家自身が気に入って何度も書くモチーフやエピソード。それらはたいていトーベ・ヤンソンの身に実際起きたことと思われ、それもまるっきり同じ使い方で無関係な別の小説の中に出てきたり。。
トーベとトゥーリッキの父親が双方ともヴィクトルという名前だったことや、トーベのカリンという従姉妹のこと。トーベの母親のガールスカウトのこと。父親のペットだった猿のこと。
一瞬ぎょっとするけど、ほとんどすべての作品が一種の私小説とも取れることを思うと、必然なのかもしれない。。

この短編集の中、思わずにやにやしながら読んだのは、表題作「人形の家」。
この主人公の男性二人は、ヤンソンが繰り返したモチーフのひとつである、自分自身、そしてトゥーリッキとの関係をすこし毒々しくデフォルメした写し身といえると思う。
何ににやっとしたのかというと、この二人が20年一緒に暮らした友人同士であること。そして、彼らがときおり夕食をともにする(小説の中では一度も出てこないで、話題だけが出てくる)友人二人との友達のような半分家族のような、けれどどうでもいいただの近所づきあいのような、微妙な関係性。この友人がひとりひとりではなく、二人一組というところがまたミソ。

そして、二人の間に入り込んでくる片方の友人とのぎくしゃくした駆け引き。
パートナーと、その友人の親密な仕事のようすに心穏やかでないもうひとり。次第に高まる一組のカップルとその友人との間の緊張感。
延々と友人と人形の家を作り続ける一人の狂気じみた偏執ぶりに、ついつい自分を重ねる。
何を作っているのか当人も知れないままに、ただひたすら自分のこだわるものを作り続ける。自分の見ている方向さえ見えないのだから、むろんパートナーの心配などどこふく風。

最後に何が起こったのかはおいておくとして、結末にはさらににやり。
とても訳者がよく使う表現「どうとでも取れる」話とはいえないよね。。

それにしても、カップルの友達はなぜカップルなんだろう。
トーベとトゥーリッキがモデルと思われるキャラクターたちはいつも、その場にいない「友人たち」や「友人カップル」のことを語るが、たいていの場合その姿は作品中にはあらわれない。
主人公たちは巧みに、あるいは不器用にそれらの「友達づきあい」を遠ざける。
それで平気なのかというと、どうもそうではないらしくて、彼女ら彼らはどちらかが遠ざけたことに対して不安や後悔を覚える。
「個であること」にこだわったトーベといえど、そういった「おつきあい」の呪縛に不自由さと心強さの両方を抱いていたのかしらん。。

ふと、妙な親近感を覚えてますますにやりとしてしまった。


(トーベ・ヤンソン・コレクション5「人形の家」・1997年刊・筑摩書房)

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トーベとトゥーリッキ、ホームムービーのこと2

トーベとトゥーリッキのホームムービーをごらんになった方のブログをもうひとつ見つけました。
こちらは日本の方。
一度だけ、国内で上映されたイベントをごらんになった方の印象です。

以下の文章は
http://mymula.blogtribe.org/archive-200308.html
からの引用です。

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2Fにあがると、クルーヴ・ハル(ハルとはフィンランド語で「島」という意味だそうだ)の別荘の設計図、その奥に食事をするテーブルと、入口が再現されている。そこをくぐると、島からの景色、景色、景色。
四方の窓から見える景色が、画面一杯に、かわるがわる映されていく。モノクロだったけれど、何か本当にモノクロに近い世界なのかもしれない。北欧の海。用意されていた木の椅子と机にもたれて、本当の景色のように眺めた。
もっと奥へ行くと、トーヴェ・ヤンソンの親友トゥーリキと暮らした島の記録が、ドキュメンタリーになって流れていた。これはカラー。コニカだったろうか、日本のメーカーのカメラで映されたシーンの連続、トーヴェの書いた言葉が、ナレーションされていく。英語の字幕がついていた。今日の写真は、そこから展示板に起こしたものだ。別荘の外で作業する、トーヴェとトゥーリキ。
そうか、トーヴェには、共に暮らしていた友人がいたのだ、と分かった。よく孤島に住む偏屈な人だと言われているが、決して、ずっとずっとひとりぼっちだったわけではなかったのだ。ドキュメンタリーを見ていると、トーヴェとトゥーリキはいつも一緒みたいに思えたのだもの。でも考えてみたら、誰かがカメラを構えないと、トーヴェのことは撮れないのだな、とも気づいたけれど。
ヤンソンの小説集『フェアプレイ』には、トーヴェとトゥーリキをモデルにしたのであろう話が書かれている。目の前の映像と、主人公の女2人がだぶっては波にさらわれた。
ムーミンに出てくるトゥーティッキ(おしゃまさん)も、トゥーリキがモデルのようだ。ふふ、顔が似ているもの。
2人を気が済むまで見て、ゆっくりとデザインセンターの木の階段を下りた。
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2004年08月19日

トーベ・ヤンソン「フェアプレイ」

トーベ・ヤンソンがムーミンだけの作家ではないことはずいぶん前から知ってはいた。
大人向けにかかれた小説(ムーミン谷シリーズの中にも大人向けと思われるものはいくつかあるけれど)の和訳は、筑摩書房の「トーベ・ヤンソン・コレクション」という選集として出版されていて、どれも薄さにかかわらず高価で、気にはなっていても、わざわざ買って読む気になれなかった。

そういう私がムーミン展に行ったことで、彼女のセクシュアリティをめぐって俄然プライベートに興味がわいた。そうしてムーミン以外の作品も一気に読み始めたことは、ヤンソン自身の作家魂からすれば、とても不快だろうと思いつつ、どうしても止められない。
私のしていることは、一人の作家のプライバシー侵害なのか。。。?
公式なカムアウトもしていなかった作家の人生を裏から検証しようとしている一ファンとして、一セクシャルマイノリティとしての私は、自分の心臓に刃をつきたてているのと同じではないか。。?
自分に疑いを持ちながら、けれどどうしても知りたい。

作家として、画家として、イラストレーターとして、成功をおさめていたトーベ・ヤンソンという女性。
なぜ、彼女のセクシャリティは封印されていたのか。
それは彼女自身の意思だったのか。
それとも、周囲の配慮だったのか。
40年の間、ひとりの女性と生活をともにしていながら公の場ではほとんどカムアウトしなかったフィンランドの大作家。彼女が、晩年になって初めて恋人を公の場にパートナーとして連れ出し、続いて彼女との共同作業を次々に世に送り出していったことの意味。

多くの子供たち、そして親たちに愛される「ムーミン」という作品。その作者が女性を愛する女性であったことがもし日本でも知られていたなら、どれほど多くの女性を愛する女性たちにとって心強い力になってくれたことか。
初めて彼女のセクシャリティについて気づいたときに私が感じた衝撃は、たまらないうれしさと、やり場のない怒りと、悲しみと、すべてが混沌としていた。
なぜ嬉しいだけではないのか。
この苦しみを、あるいは作家自身も味わっていたのではないかという思いが、どうしてもトーベヤンソンのすべての作品を読むまでは消せない。
そう思った。

そうしてわけの分からない感情の中で、まず読んだ「島暮らしの記録」は、小説ではなく、文字通りトーベとその恋人トゥーリッキの孤島での生活日誌。
そこここに二人の芸術家の生き方のエッセンスが漂う。
孤独さの重要性、それでも一緒にいることの意味。
そうして次に読んだのがこの本、「フェアプレイ」。

登場人物は二人の女性。
マリはどうやら作家で、かつイラストレーターらしい。
ヨンナは版画家らしい。
ヤンソンの筆は二人の背景について一切説明していない。
同じアパートの端と端に住んでいたり、孤島の小屋でボートの心配をしたり、二人きりの旅行でともに旅の感傷にひたっていたり、あるいは枕を並べて眠ったり。。。
エピソードごとに二人の住環境は変化している。
その関係性は会話の中で確認される。
マリの小説について批評するヨンナ。ヨンナの愛弟子に嫉妬するマリ。仲間とのパーティを直前で断って、二人きりの楽しみであるテレビでの映画鑑賞にふける。
その会話もともすると紋切り型で、愛想のかけらもなく見えたりする。

この小説の中、二人の女性は年齢についても容姿についても、ほとんど言及されない。
主人公二人以外のキャラクターについては、逆にこまかく描写されていることが、この演出が意図的であることを知らせている。
驚くのは、これらの情報がないというだけで小説はとてもシンプルになるということ。
マリとヨンナの二人の女性のゆるぎないキャラクターだけが、この小説を支える屋台骨となっている。
彼女らの動きと心は最初、うすぼんやりとどことも知れない都市の部屋の中に浮かび上がり、やがてまぎれもない「マリ」「ヨンナ」という二人の「女性」として直接読む人間に働きかけてくる。余計な情報がないことで、二人の個性のみが際立つ。

老年を迎えたトーベヤンソンの描くこの二人の女性たちには、「女性ゆえの痛み」はない。
声高な主張もない。
ただ、人間として女性としてそこにあって、その感性のままにむきあった相手とのやりとりを日々続けること。たったそれだけのことが、この上ないヨロコビと映る。
そっけない二人のやりとりに、エピソードごとに変わる二人の住環境のいっぽうで変わらない心の距離に、年月の重みとともに限りない人生への満足感が透ける。
マリもヨンナも平穏無事に一生を過ごしてきたわけではないことは想像できる。
けれど、今そこにいること、決してべったり依存せず、一日一日、それぞれが明日に向かっていることを確認しあう関係性。
孤独を愛したといわれるトーベヤンソンだけれど、ともに人生の航海を楽しむ相手がいたからこそ孤独を楽しめたのだと感じられたのが、最後のエピソード。
同性を愛しながら老いていくことを恐れている人にはぜひ読んで欲しい一話だと感じる。

マリとヨンナの生き方には、勇気という言葉がぴったりする。
トーベはここにいたるまでに苦しかったろうか。
楽しんでいただろうか。。
どんな人生を送ったにしろ、老年を迎えてなお、人生の出帆を恐れないマリとヨンナを描くことのできたトーベ・ヤンソンという作家に、拍手を送りたい。
かくありたい、と滅多に思わないことを思ったりした。。
トーベ・ヤンソンには迷惑であろうけれど。。。

次に読むのは「誠実な詐欺師」。
トーベの影の部分を読むことができるかもしれないと、予感している。



(トーベ・ヤンソン・コレクション7・1997年12月刊・筑摩書房)

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トーベとトゥーリッキ、ホームムービーのこと

トーベとトゥーリッキの旅行の様子をホームムービーに撮ったものを編集した「Travel with Tove」と「Haru - the island of the solitary」を観た人の感想ページを見つけました。
ロンドン・レズビアン・ゲイ映画祭でのトーベの姪ソフィアへのインタビュー等について書かれています。実物を見ることができれば一番なのですが、今のところ国内では「Haru - the island of the solitary」が一度上映されているのみらしく、今後の予定も分からないので、せめて見た方の詳しいレポートを読もうと思います。
素人の個人の方が書いている感想なのでやや文章に不明点があるのですが、私の解釈で読んでます。勘違い等見つけた方はご連絡ください。

以下、英文は
http://www.livejournal.com/users/dansette/37997.htmlより。
和訳はR文責です。

Both films were put together from 8mm films shot by graphic artist and Tove's partner of 40 years, Tuukikki Peitila. First film up was "Haru - Island of the Solitary" and was about the island they spent summers on for 25 years and showed their daily lives, living in a tent (so the cottage would stay tidy and they could work in it!), catching fish, taming a seagull, dancing around with the cat and growing grass on art magazines. Sophia explained that the island in the film (Klovharu) wasn't the "Summer Book" island where she lived with her father although you can see that in the distance in the footage. A voiceover was put together from Tove's writings.
どちらの映画もトーベの40年来のパートナーでグラフィックアーティストのトゥーリッキ・ピエティラが撮影したものがもととなっていました。最初の映画は「Haru-Island of the Solitary」で、彼女らが25年間夏をすごした島について描かれており、また彼女らの日常や、テント生活(コテージをきれいに保ってそこで仕事ができるようにしておくため)、魚捕り、かもめの餌付けをしたり、猫と踊ったり、また古くなったアート雑誌を腐らせた上で植物を育てたりというような暮らしが紹介されていました。ソフィアさん曰く、この映画の島(クルーブハル)は、「少女ソフィアの夏」で彼女が父親と暮らした島とは違うとのことです。ナレーションはトーベの作品から引用された文章が使われていました。


The second film "Travels with Tove" is a film of a round the world trip they made in what appears to be the early 1970s. Tove was offered return tickets to Japan by a Japanese TV company but asked for two singles so they could continue to travel from there....to Hawaii, Mexico, across the mainland US and back to Helsinki. Tove and Tuukikki both narrate, supplying details of when they ran out of money and laughing at tourists being taught to "hula dance" and somehow making travel reminiscence not boring. My favourite footage was a Mexican theme park where no one could afford the rides so they whirred round at great speed while people shuffled around ignoring them.
二番目の映画「Travels with Tove」は、1970年代と思われるころに彼女らが世界中を旅した記録です。トーベは日本のテレビ局の計らいで往復チケットを渡されますが、彼女らは日本から他の国々へ(ハワイ、メキシコからアメリカ本国へわたってからヘルシンキへ戻る)旅することができるよう、片道二枚に変更してもらっていました。トーベとトゥーリッキの両方がナレーションをしており、旅行の途中でお金がなくなった話やフラダンスを教えられている観光客を大笑いしたことなどを話として付け加え、旅行の回想が退屈に感じられないよう工夫していました。面白かった映像は、メキシコのテーマパークでの乗馬で、誰も上手に乗ることができなくてものすごい勢いで載っている彼女らが振り回されるのを、周囲の人たちが知らないふりをしていたところでした。


Afterwards the journalist interviewed Tove's niece Sophia (taking questions from the audience as well). Since it was the London Lesbian and Gay Film Festival he pointed out the "lie" of the Puffin Moomin books that Tove lived alone and asked Sophia whether she had been "out" in life at all and she basically said that she was of a different generation so that while she made no secret of her relationship with a woman she didn't really talk about it either.
上映後に、記者がトーベの姪のソフィアにインタビューしました(会場からの質問も募集しました)。会場はロンドン・レズビアン・ゲイ映画祭だったので、まずインタビュアーはムーミンのPuffin版にあったトーベが一人で住んでいたという記述の「嘘」について触れた後、ソフィアに対して、彼女がずっと(セクシャリティについて)オープンにしていたかどうかをたずねました。ソフィアによれば、彼女(トーベ)は世代の違う人であるから、基本的に女性との関係について秘密にしたことはないけれども、それと同時に相手の女性についてもほとんど何も語らなかったとのことです。(中略)

The director was there as well but she spoke English with some hesitancy so only answered a couple of questions but did say she would have a new film out in the autumn, "Two Ladies in Europe" about their travels in guess where, which will also be shown in London.
I am still confused as to the pronunciation of Tove though since while the journalist presenting the films said "Tov-eh" Sophia said "Tovey" and the director "Toovey"!
監督も来ていましたが、彼女は英語が少し不自由なようで、いくつかの質問に答えただけでしたが、秋には新しい映画を完成させる予定だと話していました。「Two Ladies in Europe」という映画で、彼女らの行き先知れずの旅行のことが描かれ、ロンドンで上映される予定とのことです。(後略)

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2004年08月18日

トーベとトゥーリッキ ウェブリソースその2

トーベ・ヤンソンとトゥーリッキについて言及されているサイトへのリンク集その2です。
トーベとトゥーリッキに興味を持った方がまとめて情報を得ることのできるように、少しずつ増やしていこうと思います。

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http://www.scandinavica.com/culture/famous/jansson.htm
スカンジナビアについて紹介する公式サイトに掲載されたヤンソンの死亡記事。
トゥーリッキに関する記述も比較的自然な表現でかかれている。
Despite all this success, Tove Jansson kept a relatively low profile enjoying life with her life-long companion Tuulikki Pietil.
「こういった成功の数々にもかかわらず、トーベヤンソンはプライベートをほとんど公開せず、生涯のコンパニオンであったトゥーリッキ・ピエティラとの生活を楽しんだ」

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http://www.kirjasto.sci.fi/tjansson.htm
個人の作家データベース?
かなり詳細にわたってヤンソンの著作を紹介。トゥーリッキに関する記述は
Jansson's companion in life was the graphic artist Tuulikki Pietil, whose personality inspired the character Too-ticky in Moominland Midwinter (1957).
「ヤンソンの人生のコンパニオンは『ムーミン谷の冬』のおしゃまさんのモデルとなったグラフィックアーティストのトゥーリッキ・ピエティラであった」

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http://andrejkoymasky.com/liv/fam/bioj1/jans3.html
個人の集めたゲイ・ビアンの有名人データベース。
It has been an open secret that Jansson shares her life with Tuulikki Pietil, alsoo an artist. Tuulikki is also the model for the character Too-ticky in the book Moominland Midwinter. It was noted with some interest that Jansson took Pietil as her escort to the Independence Day Ball at the Presidential Palace in 1992.
「ヤンソンが、同じく芸術家のトゥーリッキ・ピエティラと生涯を共にしたということは、ずっと公然の秘密であった。トゥーリッキはまた、「ムーミン谷の冬」のToo-ticky(日本語訳:おしゃまさん)のモデルでもあった。1992年、大統領官邸で行われた独立記念舞踏会へトゥーリッキ・ピエティラをエスコートしたことは、ちょっとした興味の的となった」

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http://encyclopedia.thefreedictionary.com/Tove%20Jansson
アメリカ?の無料オンライン百科事典のようなサイトの「Tove Jansson」のページ。
Tove Jansson lived together with the (female) graphic artist Tuulikki Pietil, who was also her lover.
「トーベ・ヤンソンはグラフィックアーティストであり、同時に彼女の恋人でもあったトゥーリッキ・ピエティラ(女性)と一緒に暮らしていた」

以下は、上と同じような人名事典のようなサイトの「Tove Jansson」のページ。
記述内容も同じなので情報ソースが同じ?
英語圏の辞書サイトではほぼ同じ記述。

http://www.biographybase.com/biography/Jansson_Tove.html
http://www.phatnav.com/wiki/wiki.phtml?title=Tove_Jansson
http://www.neohumanism.org/t/to/tove_jansson.html
http://www.free-definition.com/Tove-Jansson.html

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http://books.guardian.co.uk/reviews/generalfiction/0,6121,996302,00.html
書店サイトの「少女ソフィアの夏」の書評。
トゥーリッキの存在について少し突っ込んだ書き方をしている。
"She lived alone on a small island in the Gulf of Finland, where most of her books were written," it says in the Puffin biographical paragraph inside the Moomin books. The more adult truth is that she lived with her lifelong partner, the artist and professor Tuulikki Pietil; they spent their winters in Helsinki and, until they were too old to do so, their summers on the small unpopulated Finnish islands that Jansson and her family discovered and cultivated.
「『彼女はフィンランド湾にうかぶ小さな島にひとりぼっちで暮らしていました。ほとんどの本はそこで書かれました』と、Puffinの出版によるムーミンシリーズの中の年譜の章には記載されている。もっと大人向けの事実は、彼女は、彼女の生涯のパートナーで、芸術家・教授でもあるトゥーリッキ・ピエティラと暮らしていたということである。彼女らはヘルシンキで冬を過ごし、そういう生活を送ることが困難になるまでは、夏の間ヤンソンと彼女の家族が見つけて切り開いたフィンランドの無人島で過ごした」
この記述によると、英語圏の出版社のうちでも最大手といえるPuffinのペーパーバックの解説?にクルーブハルでヤンソンは一人で住んでいたような書き方になっているという。
ということは、トーベヤンソンの孤独な生活は英語圏の翻訳著作から作られたイメージということなのか?

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http://killdevilhill.com/bookchat/messages2/15405.html
英語圏のサイトでは珍しい、トゥーリッキを「友達」と記述している
For much of her later life, she lived in a small cottage on the rugged islands off the southern Finnish coast with her longtime friend, Tuulikki Pietila, who illustrated some of her works
「後年の彼女は、南フィンランド湾沖にある岩だらけの島の小さな小屋に、彼女の本のうちのいくつかに挿し絵を提供した永年の友人トゥーリッキ・ピエティラと住んでいた」

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http://dbgw.finlit.fi/fili/bff/401/antas.htm
トーベヤンソンの影の部分を取り上げたエッセイ。トゥーリッキに関しては
"Meddelande", the very last short story Jansson published, is truly an illuminating text about the pain of having been turned into a national and international artistic icon. But it also includes fragments of letters written to Tove Jansson by her beloved partner Tooti (the graphic artist Tuulikki Pietil, the Too-ticky of the Moomin stories). The icon lived and loved, and was loved. She was a human being.
「Meddelande(メッセージ)というタイトルのヤンソン最後の短編は、国内外ともに芸術家の象徴的な存在として扱われることの苦痛を純粋に描いた文章となっている。しかしながら、その中には彼女と愛し愛されたパートナーであるトゥーティ(グラフィックアーティストのトゥーリッキ・ピエティラ、ムーミン物語のトゥーティッキーのモデル)からトーベへの手紙から抜き出した文章の断片が含まれている。象徴(であったトーベは)生きて、愛し、そして愛された存在であった。彼女は人間そのものだったのだ。」

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http://www.rainbownetwork.com/News/
トーベヤンソンが亡くなったときのトゥーリッキのコメントについて言及されている。
Tuulikki Pietil, Jansson's partner of 45 years, told the Finnish newspaper Ilta-Sanomat that she did not get to the hospital in time. "She simply stopped breathing. She had closed her eyes a little time before I got there."
The couple lived in Helsinki but spent summers on the island of Haru in the Finnish Gulf. Jansson introduced the character of Too-ticky in her story `Moominland Midwinter`. Too-ticky was based on Pietil and was intended to be a companion for Moomintroll. Pietil created the graphics for Jansson`s last book, "Haru, An Island".
Pietil continued: "It is very difficult to talk about this. I`m totally stunned and I don`t quite know what to say. Maybe I`d prefer to stay quiet."
「ヤンソンにとって45年間パートナーであったトゥーリッキ・ピエティラがフィンランドの新聞Ilta-Sanomatに語ったところによると、彼女はヤンソンの最後に間に合うよう病院に到着できなかった。『ただ、彼女は息をするのを止めました。私が到着するほんのすこし前に、目を閉じたのです』
二人はヘルシンキに居を構えたが、夏の間はフィンランド湾に浮かぶハルという島で過ごした。ヤンソンは『ムーミン谷の冬』で、トゥーティッキー(和訳:おしゃまさん)というキャラクターを登場させている。トゥーティッキーはピエティラをもとにしており、もともとムーミントロールの友人として作られた。ピエティラは、ヤンソンの最後の本「島暮らしの記録」に挿絵を描いている。ピエティラは続けた。『このことについて話をするのはとても辛いの。私はすっかり打ちのめされて、言葉も見つからないわ。もう何も言いたくない。』

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2004年08月17日

トーベ・ヤンソン著、トゥーリッキ・ティエピラ画「島暮らしの記録」

この本「島暮らしの記録」は、ある女性二人が無人島で自然と闘いながら暮らした二十数年間の記録。
こう書くと、なにやらロマンティックな発想があたまをよぎる。
けれど、実際に女性二人、トーベ・ヤンソンとトゥーリッキ・ティエピラを迎えたのは北欧の厳しい海と風。思うようにならない動物たちだった。

彼女らが暮らしたクルーブハルは、フィンランド湾の南に浮かぶ、全景ほんの数キロのごくごく小さな無人島。本の中にその全景の写真が収められているけれど、全景を撮った写真の中に写る二人の小屋がディテイルまではっきりと見える。つまり、本当に小さい。まるでおもちゃの島のよう。
この島のある近辺で幼い時代を過ごしたトーべと、その恋人トゥーリッキは、初老を迎えた1964年の春、クルーブハルに上陸し、小屋を建て始める。
二人では手に負えない部分は土地の男性二人に手を借りて、板と戦い、天気と戦い、波と戦いながらテントに暮らし、徐々に二人の住処をくみ上げて行く。おかしいのは、彼女らが決して聖人君子ではなく、始終失敗や手伝いの男性への文句、トーベの母が連れてきた猫のことで悪態をついたりするところ。
孤島に二人きりというと、なにかしら人間離れした仙人の生活を思わせるけれど、トーベとトゥーリッキにはそういったところはみじんもない。

厳しい生活は、天気が荒れると人里から完全に孤立する。
食料もごく質素で、今日はキャベツのスープ、明日は豆のスープ。取る魚は猫のためのもの、という具合で、芸術家としてそこそこ成功していたトーベとトゥーリッキとしては驚くほどにこざっぱりとしたもの。
読みながら、ムーミン展で見かけた若いトーベの、サロンの女王然としたクールでハンサムな横顔が思い浮かぶ。明るい金髪で、意思の強そうな鼻と彫りの深い顔立ち。北欧の人らしい色素の薄い、澄みわたった瞳に浮かぶ、愁いを帯びた表情。
あの彼女が、老いてこんな生活を望んだのか。。。と驚く。
嵐の後、腐臭のする水溜りから魚をすくって海に放す。甲斐なくそのまま息絶えるもの、勢いを得て海草にもぐるもの。
それを見つめるトーベの目には哀れみも感傷もなく、ただ淡々と命の営みを見送っている。

二人の小屋には、母の姿がときどき訪れる。
どんな風に三人がやりとりしていたのかやや不鮮明ではあるけれど、基本はトーベとトゥーリッキの二人暮し。
やがて母が亡くなって、春から秋の季節に訪れる人は減っていったのかもしれない。

この長い年月のわずかな記録の終わりちかく、印象的なシーンがある。
トーベとトゥーリッキは、長い時間を二人きりですごす間に、次第に会話がとぎれてゆく。
やがて、向かい合っていてもひとことも交わす言葉がなくなってゆき、そのことを愚痴っているのかと思えば、トーベはこう続ける。
誰かがふと、ふたりの小さな小屋を覗くと、ひとつのランプにむかいあって、二人の女性が腰掛け、黙ってただそれぞれの仕事に専念しているという心温まる風景を目にするのだ、と。

嵐の日は外に出てその自然の脅威を楽しみ、ボートが沈めば必死で引き上げ、互いが互いの命綱を握り合った無人島での生活。
老いに背中をおされるようにその生活にピリオドを打ったときの二人の、どこかさっぱりとした寂しさは、ムーミン谷の十一月でムーミン一家を待ちかね、次々と谷を後にして家へ帰っていった登場人物たちの「さびしそうだけれど、少しほっとした背中」と重なる。
それは、負けて逃げるのではなく、すべきことをまたはじめるための一歩であったように思える。

島を後にしたトーベとトゥーリッキは、次々と二人の合作のホームムービーをもとにした映画、小説、そして島暮らしの記録を編んでゆくのだ。
老いて後の、二人の船出のために準備を整えてゆくように。。




(トーベ・ヤンソン著、トゥーリッキ・ティエピラ画「島暮らしの記録」、筑摩書房、1999年刊)

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2004年08月16日

ムーミン谷のヤンソン

ずんぐりむっくりした体と、マイペースのキャラクター。人とは明らかに違いながら、「妖精」のような存在感の疑わしい者でもない。
それがムーミントロールと、ムーミン谷の住人たちの在り方。

ムーミンというと、日本ではアニメの方が有名なので、まずあのマザコンで女の子に弱いムーミンとやさしいママという図が浮かぶ人が多いと思う。
実際、ムーミンの話をヘテロセクシャルな家族愛の話ととる人は日本人には多くて、今回の大丸の展示会の図録にも、その旨の言葉を寄せる人がいたし、会場に繰り返し流されていたアニメの「魔法の帽子」のエピソードは、過剰なほどにママに甘えるムーミンと、ムーミンを特別扱いするママの母子の愛をクローズアップした演出になっている。
けれど、原作ムーミンには家族愛というよりももっと強いテーマがある。

トーベ・ヤンソンの原作ムーミンはムーミントロール一家を核にしているけれど、そこに集まってくる人々と一家の間にはなんの分け隔てもない。一家はともに暮らしているが、そこにリトル・ミィが入ってこようが、スノークのお嬢さんが入ってこようが、ご先祖さまが寝ていようがまったく一家は意に介さない。
リトル・ミィにはミムラ夫人という母親と、ミムラねえさんという姉がいるが、さした理由もなくムーミン一家の養女となっている。また、スナフキンとミィは血のつながった兄弟だけれど、二人が血縁であることは物語りの中ではまったく重視されていないし、スナフキンはミイよりもムーミントロールとのほうがずっと関係が深い。
「ムーミン谷の仲間たち」の中には、ヘムレン一族のひとりが一族を嫌い、一人で公園で新しい遊園地を作って子供たちと暮らす話があるが、この中のヘムレン一族の反応は、大笑いして「変わったヘムレンだったからねえ」、でおしまいである。無理矢理説得しようとか、仲間に取り込もうとかの画策はナシである。
もしムーミンのテーマが血縁の愛であるとしたら、これはとても奇妙な状況となってしまう。

原作ムーミンの登場人物たちは、一家それぞれをはじめとして、すべての登場人物がおそろしく個性的で自分勝手、わがまま気まま。とてつもなくマイペース。この物語の中で本当に重要なのは、そういう個性を個性のままとして放置しあっている関係性であると、私は感じる。
そして、血縁と無関係に個別の関係性を築いている。
なぜこういう一見奇妙な人間関係をヤンソンが描いたのか。

このムーミン谷の住人たちのあり方の根拠を、ヤンソンの血に求める人は多いように見受けられる。
ヤンソンの両親はスウェーデンからの移民で、ヤンソン自身もスウェーデン語を母国語として使っている。ムーミンが書かれたのもスウェーデン語である。
スウェーデン語を使うフィンランド人は全体のわずか5%〜7%程度に過ぎない。
つまり、言語、文化においてヤンソンはフィンランドにおけるマイノリティであったということが、個性を尊重するムーミン谷の理想郷を描かせたという説である。

けれど、有力と見られるこの説にも実は大きな矛盾がある。

ヤンソンが生涯を送ったフィンランドは、スウェーデン語とフィンランド語の二言語を公用語として採用しており、実際全体の5〜7%程度しかいないスウェーデン語を使用する人々のための教育機関がきちんとあり、人々はどちらの言語でも不自由なくフィンランドで生活が送られる権利を国家によって保障されているそうである。それでもマイノリティはたしかにマイノリティ。
ただ、そこで重要になるのは、どういった人々がフィンランドにおいてスウェーデン語をしゃべっているのかという点。
スウェーデン語がフィンランドでの公用語のひとつとなっているのは、フィンランドが過去にスウェーデンの統治を受けていたということから。マイノリティであるスウェーデン語を話す彼女ら彼らの多くは、いまだにフィンランド国家にとって経済・政治・文化を支える要人であり、そのことがフィンランドにおけるスウェーデン語を少数言語として確固たる地位を保たせている。ヤンソンの両親も例にもれず、父親は有名な彫刻家であり、母親も挿絵画家として地位を築いていた。
マイノリティはマイノリティでも、立場はかなり特権階級に近い。
中にはヤンソンを日本におけるコリアンジャパニーズに例える日本人もいるけれど、これは大きな間違いと私は思う。韓国は日本に侵略を受けた側であり、ヤンソンのようなフィンランドにおけるスウェーデン系の人間とは立場はまったく逆となる。
もしヤンソンの属したスウェーデン系フィンランド人の立場が、韓国系日本人の立場であったならそういう解釈も成立しえるかもしれないけれど、特権階級に近い立場であったヤンソンがそのことを理由に個性の多様さを許容するための物語を描いたという説は根拠に乏しいのではないか。。

じゃあ、なぜムーミン谷の住人はかほどに自由気ままなのか。

私は、ヤンソンのセクシュアリティにもその秘密があると思える。
というか、これが言いたくてここまで書いたのよね(笑)。
もともといつから彼女が女性を愛する人であったのかは不明だけれど、もっとも気力も体力も充実しているはずの年代に第二次大戦が勃発し、ナチスドイツやソ連の侵略の恐怖におびえ、思想を自由に表現することもままならなかったフィンランドのヤンソン。いうまでもなく、ナチスは同性愛者の大量虐殺・迫害も行っていた。
彼女がイラストレーターとして有名になったGARMという雑誌の表紙に彼女はナチスへの憎悪を描き、やがて風刺画さえ描けなくなったとき生まれたのがムーミン童話らしい。(もともとムーミントロールのキャラクターはヤンソンが署名代わりにイラストの隅に描いていたのでファンにはなじみがあった)

すでにイラストレーター・画家として名をなしていたヤンソンが、自らの抑圧されたアイデンティティの発露として、比較的ナチスの抑圧から遠い童話としてムーミンシリーズを描いたとしても、不思議はないと思う。
一番大きな要因は、戦争・ナチスという暴力への抵抗であり、多種多様な人種を認めたいという思いからに違いない。けれど、その中に巧みに潜ませた、さまざまなセクシャリティへのヒントがちりばめられているように見える。

まず、ムーミン谷の冬に出てくる『赤と白の横じまのセーターを着て、ナイフをこしにさげ、ぼうしをかぶっている』トゥーティッキー(和訳:おしゃまさん)というキャラクターには、明らかにダイキーな匂いがある。このキャラクターのモデルはヤンソンの恋人、トゥーリッキ。そう考えて読めば、ムーミントロールと親友スナフキンの心のつながりは、友人というより恋人のそれに近い。
ムーミントロールとその一家が家族であり、ムーミン谷に集まってくる人々の核になりつつも決して「主役」として特別な描き方をされないことは、血のつながりよりも個々を重視する関係性、言葉に出さない関係性をこそ重要と考えた同性愛者ヤンソンの生き方、トゥーリッキとのつながりを象徴しているように思えてならない。
それはムーミン一家が血のつながった家族であり、他とは他人であるからこそ余計に際立つ。
一族だろうがなかろうが、ヤンソンにとっては無関係に、それぞれが同一に大切な個性なのだと。

ヤンソンの暮らしたフィンランドの大統領は2004年現在女性。
タルヤ・ハロネン氏は、過去に同性愛者の団体の代表も勤めたことのある人物とのこと。
現在はセクシャルマイノリティにとっては日本の百倍は暮らしやすそうに見えるこの国も、実は1960年代までは同性愛が法律によって禁止されていたそうで。。それが転じて1971年には同性愛を含むセクシャルマイノリティの差別を禁止する法律ができ、2002年には同性カップルに異性カップルと同等の権利を保障する法律が施行されている。戦争、政府、法律によって二転三転する同性愛者の立場にヤンソンが苛立ちと絶望を覚えていたであろうことは、想像に難くない。

現実で非常に高名をはせていたトーベヤンソンという作家である自分と、愛する女性との生活を、他国への翻訳書では「独り暮らし」と偽らねばならなかった透明な存在としての自分。
ムーミン谷の住人たちを「実在の動物」でもなく、かといって存在のあいまいな「妖精」ともしなかったヤンソンが、それらのキャラクターに周囲からは見えないけれど確実にそこに存在するレズビアンとしての存在感を投影させていたと考えるのは、穿った見方だろうか。。?

トーベ・ヤンソンがトゥーリッキとの無人島暮らしを記録した「島暮らしの記録」を出版する直前に著した作品に、「クララからの手紙」という小品がある。
これはクララという女性からの短い手紙を数回分まとめただけの、一見なんのまとまりもない手紙の束となっているが、この最後の文章に私の目はひきつけられた。
とある作家らしき女性(クララ)から、雑誌名「女どうしで」の編集者へと綴られた内容は、原稿依頼を断る手紙。
何の原稿依頼なのかは釈然としないけれど、依頼を断る理由として、「個人的な領域のことを公的にすること」への抵抗感を記しており、この雑誌のめざすものが読者には正直な反応を引き出せないのではないかと危惧してもいる。
深読みというひともいるかもしれないけれど、私はこれは紛れもなくヤンソンと実在の雑誌(あるいはセクシャルマイノリティのための?)の編集者との間で交わされたやりとりの一部であったと信じている。

なぜ彼女が若いころに沈黙をたもったのか、そして1980年後半になってから突然二人の関係を後世に残すためさまざまな資料を整理しはじめたのか、トゥーリッキとの間柄を隠したわけではなくても、最後まで言葉で明確に語らなかった彼女の苦い思いは、調べれば調べるほどにじわじわとあぶりだされてくる。

夜明け前は一番暗い、とヨルは言ってる。
「ジェンダーフリー」をその言葉ごと封印してしまった東京都の教育委員会(都知事の差し金?)の馬鹿さ加減。たとえ後世のひとびとがあざ笑うであろうと自分をなぐさめてみても、現在押し込められている私の痛みは減らない。
ただ自分を振り回すばかりの現実を苦く思っていたヤンソンが、自由を踏みにじる戦争への、セクシャリティを抑圧する政府への怒りを、ムーミン谷の中で、トゥーリッキと暮らした無人島クルーブハルでの生活の中で昇華していったとしたら、その思いに私は強い共感を覚える。

私にもムーミン谷が欲しいなあ。。。


参考資料・URL

ムーミン谷の彗星
楽しいムーミン一家
ムーミンパパの思い出
ムーミン谷の夏まつり
ムーミン谷の冬
ムーミン谷の仲間たち
ムーミンパパ海へいく
ムーミン谷の十一月
http://www.moomin.co.jp/

島暮らしの記録
クララからの手紙
http://www.chikumashobo.co.jp/

ムーミン谷の素敵な仲間たち展・図録
http://www.toei.co.jp/event/event-now/mumin/movie.htm

フィンランドの言語状況
http://www.finland.or.jp/j-mantila.html

【フィンランド】 同性愛団体の代表経験があるハロネン氏が大統領に当選
http://www.milkjapan.com/2000kn02.html

「ジェンダーフリー」教育現場から全廃 東京都、男女混合名簿も禁止
http://www.sankei.co.jp/news/040813/morning/13iti001.htm

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2004年08月14日

トーベ・ヤンソンの遺したもの

そして夏休み終わりかけの私はトーベヤンソンWeb資料総当たり。
といっても、スウェーデン語(またはフィンランド語)が分からないので、日本語と英語のみなのでとってもリソースは限られる。。それならそれでと思って、英語圏と日本語圏の扱いの違いとかを調べようと思って「レズビアン トーベヤンソン」と入れてgoogleで検索したら自分とこがトップに来てギョ。
英語圏の情報は最初の手ごたえほどに情報多くはなくて、その中でも色々と中身をみながら検討。。
詳しい内容は後日参考URLを添えて記事にしますが。。おおまかな印象を。。

日本語圏でのWeb上の情報は限り無くゼロに近い。
探し方が悪いのかと思ってあれこれ検索ワードを変えてみたりしましたが、やはりヒットしない。
わずかにあったのは、「島暮らしの記録」の紹介の中に、「トーベの彼女トゥーリッキ」という記述があったのが一か所、「生涯のパートナー」とあった記述が一か所。(ただし、同じ文章中トーベが生涯独身であったと書かれている)
残りは「親友」「大親友」など。
なにしろ、「島暮らしの記録」の後書きでさえ、「島での滞在を許される数少ない友人のひとり」となってる。
ちなみにこの書の書きだし一ページ目で、トゥーリッキ(本書内ではトゥーティー)がいかに木工に長けているかを語っている。日記感覚のこの書で、トゥーリッキはトーベのパートナーとして島暮しの基礎を一緒に作り、一緒に暮らしている。そもそもトゥーリッキはこの本の挿画を描いているのだ。どう読んだら「滞在を許されている友人」となり得るのか、まったく不明。これを事実の彎曲と取らないでなんと取ろう??
ムーミンを読み返すと、「ムーミン谷の仲間たち」(講談社文庫/1979年)の子供の読者向けの翻訳者解説(おそらくハードカバーからの転載?)には次の通り書かれている。
「ヤンソンさんはフィンランド湾に小さい島を一つもっていて、夏にはそこでただひとりで暮らし、もっぱら童話を書くのだという。ひとりでいても、ムーミン谷の仲間たちがいれかわりたちかわり訪ねてくるので、彼女はちっともさびしくないといっている。」
明らかに事実とは違う。

日本でムーミンと接する人が最初に目にするこの情報のソースと思われるのは、イギリスでムーミンシリーズを出版した大手出版社Puffin版の解説。
"She lived alone on a small island in the Gulf of Finland, where most of her books were written,"
『彼女はフィンランド湾にうかぶ小さな島にひとりぼっちで暮らしていました。ほとんどの本はそこで書かれました』
なぜこのような「嘘」が出回ったのか、トーベヤンソン自身がこの言葉を言ったのだとしたら、どういった心境からなのか。。それを考えると、一見自由奔放な人生を生きたように見える彼女が、いかに注意深く作家人生を歩んだことか、そしてなぜ彼女の描いたムーミン谷の住人たちがかほどに「やりたい放題」なのか、そのわけが見えてくるような気がする。
このPuffin版の解説の嘘については、トーベとトゥーリッキのホームムービーが上映されたロンドン・レズビアン・ゲイ映画祭のイベントに訪英したトーベの姪ソフィアへのインタビューでも指摘されたらしい。

日本語での情報の少なさ、彎曲もさることながら、この通り英語圏(特にイギリス)でさえ基本的にはトーベヤンソンは孤独な人生であったというような事実のねじ曲げが行われていたように見える。
その一方で、アメリカの主なオンライン辞書(百科事典、人名事典等)に掲載されているトーベヤンソンのプロフィールは、おそらく一つのソースを参照していると思われ、一環して下の表現が使われている。
Tove Jansson lived together with the (female) graphic artist Tuulikki Pietila who was also her lover.
「トーベ・ヤンソンはグラフィックアーティストであり、同時に彼女の恋人でもあったトゥーリッキ・ピエティラ(女性)と一緒に暮らしていた」
同じ英語圏でありながら、このイギリスとアメリカでの情報の温度差はなんだろう。。。

生前の「孤独な芸術家」としての扱いを経て、トーベの亡くなった後の2004年のロンドン・レズビアン・ゲイ映画祭でトーベの姪ソフィアが招かれ、イメージの修正がなされたことは、英国のゲイ・レズビアンたちのトーベへの精一杯の餞だったようにも見える。

トーベとトゥーリッキの仲むつまじい旅行風景を映したホームムービーを知り合いの監督に編集してもらった映画「Travel with Tove」が制作されたのは1993年。
二人の愛したクルーブハルでの日々を綴った「島暮しの記録」がトゥーリッキの挿し絵つきで出版されたのは、1996年。
さらに1998年には島での二人の生活を撮影した映画「Haru - the island of the solitary」が制作されている。

トーベ・ヤンソンがこの世を去ったのは2001年6月27日。
彼女が最後の日々に行った人生の集大成の数々。それらは、トゥーリッキとの時間を後世に残すため、生前語ることのなかった愛する人と生きた証をこの世に遺してゆくための遺書を書いてゆく時間であったと、私には思えてならない。。

2004年の夏、混雑した東京のデパートで、写真のコラージュにかくも巧みに、かつごくあからさまに標されたトーベとトゥーリッキの愛の記憶に気付き、目をみあわせて微笑んだヨルと私。
死を越えてなお、伝わるものは必ずある、と信じたい。。
私もそこに続くものとして、伝えていきたい。。

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2004年08月08日

トーベヤンソンとトゥーリッキ

ムーミン展に行って参りました。
大丸ミュージウムということで、どの程度の規模なんだろうなと思っていましたが、思ったよりはるかに多くの充実した原画、めったに見られない油彩、そして日本人の人形作家がヤンソンに贈ったムーミンのフィギュアなどが所狭しと並べられていて感動。会場をうろつきながら、ふたりそれぞれに見たいものを見たいだけ堪能してきました。

そういう中で、人間トーベヤンソンを垣間みることのできたのが、彼女の写真をコラージュしたアルバムを写したと思われる大きなパネルの数々。
見ると、若き日のヤンソンはショートカットに綺麗なラインのパンツの、すらりとした立ち姿。
ストイックな表情を漂わせ、スタイリッシュな部屋で目を伏せる彼女は、控えめに見ても。。。。
超ダイキー!!
会場で周りを見回しながらおもわず声を潜めてヨルと意味深に頷きあってしまった。。
そのくらいに若い頃の彼女には孤独と独立した精神の陰が見えている。
(いや、レズビアンだからというわけではないけれど。。。どこかそういう空気を感じたのよ)
パネルに写ったヤンソンは、まるで女優のようにドラマチック。
これは。。。ふつうの「知り合い」や「家族」が編集したアルバムではないと勝手に思い込んでしまいました。

そうして家に帰って早速調べることものの1分。
知りませんでした。
トーベヤンソンは、とってもアウトなレズビアンだったのですね。。。。。。。。。。
情報集めに燃えているわりには肝心なことは分かっていない無知さ加減を露呈するようですが。。。本当に知りませんでした。。
そして、涙が出るほどに嬉しかった。
心強く、同時に物さびしい。。。。といえばいいのか。
強烈に嬉しい気持ちと、同時にたまらなく寂しい気持ちと。。

調べてみれば、あちこちにソースがあり、なんといっても彼女がかなりアウトなレズビアンであったことから、タブー感はそれほどには強くなく、ビアンコミュニティにはおそらくある程度浸透している事実なのだろう(私が知らなかっただけで(没))。

けれど、日本のサイト(いわゆるマスメディアに関連するサイト。個人サイトにはちらほら)にはヤンソンの情報中にそういう記載は一切ない。
今回のヤンソン展の図録にももちろん全くない。
展示を見ている間に「もしや。。?」と思いはじめた私は展示されているものを片っ端から見直したけれど、むろんどこにもない。
ただ、作家や画家の作品展では有名な人であればあるほど履歴に記されている結婚歴や夫、子供のこともまた、どこにも見当たらない。

普段作家のプロフィールに「○○と結婚して云々」とあると、つくづく「関係ないじゃんか」と思う私だし、作家はその作品によってのみ語られるべきという思いに変わりはない。
けれど、ヤンソンが愛し、生涯のパートナーとして暮らした相手の存在を、展示会は綺麗に無視している。
作品の中にもキャラクター「おしゃまさん」として描かれた、その人を「親友」という言葉で葬っている。
図録にも、トーベヤンソンの恋人トゥーリッキは「大親友」と書かれている。
ヤンソンとトゥーリッキが二人で作ったムーミンハウスの模型の写真のキャプションにはトゥーリッキの名前さえ書かれていない。
これははっきり、トーベの、あるレズビアンが生きた歴史の隠ぺい、あるいは捏造だと思った。

調べた範囲では、トーベヤンソンは自分を語るときに「レズビアン」という言葉は使わなかったらしい。
日本語サイトでは、トゥーリッキがヤンソンの「親友」ではなく、生涯のパートナーであったことをきちんと書いている記事は、本当に数えるほど。
ましてや、二人の生き方について言及したものはどの程度あったのか。。
彼女が女性を愛する女性であったことはフィンランドでは公然の秘密であり、欧米では彼女がレズビアンであったがゆえにムーミンを読むことを禁止された家庭もあったらしい。
今は、そういう世の中なのだ。。
女性を愛する女性が自らの歴史を封印することで、生き延びる。。。


私が幼いころに大好きだった、少し無気味で、少し寂しくて、少しユーモラスな世界。
アニメのムーミンではなく、原作のムーミンに漂う真の孤独と、想像の世界なのに妙な存在感をもつキャラクターたちが、ヤンソンが描きたかった世界と理解している。
その世界を生み出した人が女性であること、女性を愛する女性であること、そのことがこんなにも嬉しい。
そして、その事実を日本では封印されたまま(一部では書かれていても、ほぼ99%のひとは知らないと思われる)であることが、苦しい。
この苦しさはそのまま、生きていく苦しさに繋がると身体で感じる。。
あれだけ名声を勝ち得ていながら、30年近くもの間、一年の大半をトゥーリッキと猫をつれてすごした孤独の島のヤンソン。

アニースあたりでどなたか、特集してもらえませんか。。。?

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ハッピーなレズビアン「トーベ・ヤンソン」ウェブリソース

以下は、ムーミンで有名なフィンランドの作家「トーベ・ヤンソン」が女性を愛する女性であったことについて記述のあったサイトのURLと、該当部分の意訳です。
「作家のセクシャリティになんて興味がない」
と言い切る方は、ご覧にならないでください。
なお、サイトの記述内容については裏づけをとったわけではありませんが、私自身がある程度信頼性のある情報ソースだと判断したものを載せています。ご自身の責任においてご覧下さい。

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http://www.yomiuri.co.jp/tabi/world/20031006sc22.htm
(ヤンソンがトゥーリッキと暮らしたクルーブハル島についての読売新聞記事)
中に、
「小屋の中に入ると、正面にヤンソンが使い込んだ木の机がある。1メートル四方ぐらいの小さな机。隣にはベッドが直角に二つ並んでいた。実は、独身を貫いたヤンソンはここで、生涯の女性のパートナー、トゥーリッキ・ピエティラさんと全(すべ)てを分け合って暮らしていた。シリーズに登場する「おしゃまさん」のモデルとなった豪快で愛情豊かな人物だ。 」
とある。トゥーリッキがヤンソンの「親友」ではなかったことを書いている数少ない日本語の記事。ただし、「生涯独身」てのは大いに矛盾してる。
ちなみに2004年8月の大丸でのムーミン展では、「おしゃまさん」のモデルは親友であるとだけ書かれている。

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http://www31.ocn.ne.jp/~yu/diary/03_08.html
(ある人の日記に、トーベヤンソンとトゥーリッキの生活を写したフィルム(下記参照)を見た感想あり)
「Art 「PYH TILA 〈聖なる空間〉」  東京デザインセンター 2003.8.18〜2003.8.31
(中略)後半の展示の目玉は、島での暮らしを友人トゥーリッキ・ピエティラ(一緒に島で生活していた)が撮影した8mmを再構成し、トーベ・ヤンソンの文章を被せた45分のドキュメンタリー。百聞は一見に如かずというか、本当に岩しかない小さな島で、私だったら、そんな所に住むのは絶対嫌だな、と思うのだけど、二人とも、結構、楽しそう。中でも、小屋の外で、トーベ・ヤンソンが猫を抱いてダンスしているシーンが印象的だった。」
見たい。。とても見たい。。以下はイベントの会場となった東京デザインセンターのイベント履歴。
http://www.design-center.co.jp/events/event_2003.html#event_09

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http://www.sappho.net/finlez/icons.html
Finnish Lesbian Icon: TOVE JANSSON
Then there is of course another Finn who writes in Swedish, the Moomin author Tove Jansson, who is world famous for her children's books. She is quite out and visible as lesbian although she doesn't use the word lesbian herself.
フィンランドのレズビアンアイコン:トーベ ヤンソン
スウェーデン語で書かれたムーミンの作者であり、児童書により世界中で有名なトーベヤンソンもいる。彼女は、レズビアンという言葉を自身で使ったことはなかったが、周囲に対して非常に開放的なレズビアンであった。

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http://www.glbtq.com/literature/finnish_lit.html
Finnish Literature (an encyclopedia of gay, lesbian,bisexual, transgender,& queer cculture)
Another author who includes lesbian themes in her fiction is the creator of the internationally acclaimed Moomin characters, Tove Jansson (1914-2001). In Fair Play (Rent spel [1989]), for example, Jansson depicts two elderly ladies who share their lives.
フィンランドの文学
フィクション作品でレズビアンをテーマにとった作家のうちのもうひとりは、国際的に有名なムーミンのキャラクターで知られる、トーベヤンソンである。例えば「フェア・プレイ」という作品(R注:トーベ・ヤンソン・コレクション7として販売中)の中で、ヤンソンは人生を共にする年輩の女性二人を描いている。

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http://joi.ito.com/archives/2003/12/01/elk_moomin_and_ice_breakers.html
(どなたかのヤンソンに関するブログ記事への発言のひとつです)
I refer here, that the famous Finnish children Moomin book writer Tove Jansson was a lesbian.
In Finland this was quite well kept "secret" and it did not harm his reputation and popularity. Well, it was not a secret, but it was never actively publicized.
Tove was also an excellent home moviemaker with her 8mm camera. Those home movies form her hideout in Summer-cottage was re-edited by one movie director and the movie was shown in Finnish TV in prime time few years ago. From that movie, you can see, that there was no "other man in the island" only other lady.
As a home movie fan, I have to say, that was a beautiful and artistic movie.
あなたの発言のうち、フィンランドの児童書ムーミンの作者トーベヤンソンがレズビアンであったという点について発言したいと思います。
フィンランドではそれは「秘密」として大事に守られており、そのせいで彼の(R注:彼女の、の間違い)風評や人気に陰がさすようなことはありませんでした。なんというか、実際は秘密ではなかったのですが、決して大っぴらに喧伝されることはなかったのです。
トーベはまた、ホームムービーを8mmカメラで非常に上手に撮っていました。彼女の隠れ家にあったこういったムービーは、ある映画監督により再編集され、数年前にフィンランドのテレビでプライムタイムに放映されました。このムービーから伺えるのは、彼女には「一緒に過ごす男性」はおらず、女性しかいなかったということです。

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http://www.bfi.org.uk/news/releases/ 2004/2004-02-20-llgff-mainrelease.pdf
(今年のロンドンでのレズビアン・ゲイ映画祭の紹介記事)
Gay culture and history feature strongly in the programme with Tove
Jansson, the creator of cult children’s classics, The Moomins, revealed
through 25 years of home movies as a happy Finnish lesbian in Travel With
Love and Haru ミ Island of the Solitary.
熱狂的なファンを持つ児童文学の定番ムーミンを生み出した作家トーベ・ヤンソンのプログラムについては、ゲイカルチャーや歴史を語る上で特に強調しておきたい。ヤンソンは、25年にわたる二人の生活を撮影したホームムービー「Travel With Love and Haru ミ Island of the Solitary」の中で幸せなフィンランドのレズビアンとして登場している。

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http://www.llgff.org.uk/films_details.php?FilmID=77
(今年のロンドンでのレズビアン・ゲイ映画祭公式サイトのプログラム紹介)
Haru - The Island of the Solitary
showing with Travel with Tove (Finland, 1993 - 60 mins)
Tove Jansson and her girlfriend spent 25 summers on the island of Klovharu, in the Gulf of Finland. This dreamy documentary, never before shown in the UK, by veteran Finnish film-maker Kanerva Cederstrom is based on 20 hours of Super8 footage shot by Tuukikki covering the time from 1970 to 1991 with commentary written by Tove. Observations of their daily life and natural surroundings spill out in an endless lyrical rhythm.
孤独の島ハル トーベとの旅行記(フィンランド 1993年、60分)
トーベヤンソンとガールフレンドはフィンランド湾のKlovharuという島で25度の夏をともに過ごした。この夢のようなドキュメンタリーはイギリスでは初めての放映、フィンランド出身の映画製作者Kanerva Cederstromがトゥーリッキ(R注:ヤンソンのガールフレンド)によって1970年から1991年の間に撮影された、トーベ自身によるコメントつきの20時間にわたる8ミリフィルムをもとに制作している。日常生活の観察や彼女らをとりまく自然が、ずっと続くヤンソンの詩のリズムに溶けてあふれだしている。

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